「予選ドローを大きくすると雨やなんやで実施が難しいからじゃないですか。」同僚のM君と全日本選手権の予選ドロー数が小さいことについてビールを飲みながら語り合っていた。
1990年(古いね)、ユーゴスラビア(分離し、消滅)のサテライト大会(現、フューチャーズ大会)予選に私は出場した。予選はオープンだった。つまり、人数制限なし、誰でも参加できたのだ。8人勝ち上がりの予選枠に256人が世界から集まった。3セットマッチで5回勝ち上がり、は大会主催者にとっては重荷だろう。実際に夜10時から試合をやった。ポイントの無い私も出場できたのだ。”選手にチャンスをあげたい”、そもそものフューチャーズ大会開催の哲学を感じた。